湊御殿は、現在の和歌山市湊御殿1丁目にあった紀州藩主の別邸で、2代藩主徳川光貞の時代に造営されました。その後、歴代藩主が使用し、その間幾度か焼失しましたが、天保3年(1832)、11代藩主徳川斉順が新御殿の造営に着手し、天保5年(1834)に完成しました。この時新築された御殿は、江戸城本丸御殿や紀州藩江戸屋敷を模した広壮で豪華な建造物であったと伝えられています。
明治時代には、御殿を構成していた多くの建物は取り壊されましたが、いくつかの建物は寺院などに移築されました。この湊御殿はその内の1棟で、和歌山市の指定文化財に指定されています。建物は書院造りで、柱には上質の栂柾材が使用され、天井には鳥の子紙が貼られ、座敷の杉戸には紀州藩に仕えた絵師による彩色画が描かれています。